自分の命を守るために始めたトレーニングでしたが、凝り性の私はトレーニング理論、運動生理学、栄養学を猛烈に学びました。その姿勢が皮肉にも評価され、フィットネスクラブではアルバイトながらスタッフ研修を担当。正社員採用後はすぐに支店長、さらにはプログラムディレクターへと異例の出世を遂げました。しかし、当時の日本のフィットネス界は海外プログラムの輸入ばかり。「日本人の不定愁訴(原因不明の体の不調)を根本から解決したい」という思いが強まり、私は独立を決意します。「私なら絶対にうまくいく」そんな自信は、すぐに打ち砕かれました。派遣事業や輸入販売など、何をやってもあと一歩のところで失敗。気づけば生活は困窮し、無理がたたって体も壊し、働けない状態に。そして、待っていたのは地獄のような「多重債務者」としての生活でした。